聖神社はその創始年代も由来、社殿創建の年代いづれも定かではないが、寛政七年(1795)の『因幡志』に「社伝に曰く、祭神は二座、吾勝尊・瓊瓊杵尊」とある事から当初は吾勝尊つまり正勝吾勝勝速日天忍穂耳命とその子である瓊瓊杵尊いわゆる天津日高日子番能邇邇芸命の二神が祀られていたことがわかる。「吾勝尊」が「聖(日知り)の神」として信仰されたところから、「聖大明神」、「聖神社」と命名されたのではないだろうか。
また、神社所蔵の棟札写により現在の本殿が江戸中期の宝永七年(1710)閏八月に大工の大匠藤原十河彦太夫政次により改築された物である事、『因幡志』での「聖大明神は、安永五年(1776)八月、神階正一位を授かり給い、其の明六年(1777)六月、初めて夏祭行はる」との記述から、少なくとも240年以上前から「聖さん」として崇敬されてきた事がわかる。
その後、文化十年(1813)拝殿を造替、明治三年(1870)境内にあった恵比寿社(祭神・事代主神)の合祀を経てほぼ現在の全容を成す事になった。
昭和三十二年(1957)四月に本殿が県保護文化財に指定、平成十四年(2002)三月、春祭にあたる神幸祭が県の無形民俗文化財に指定、平成十七年十一月、幣殿・拝殿附透塀及び棟札一六枚が県保護文化財へ追加指定されるなど現在ではその文化的価値が広く知られている。
社殿の老朽化により平成二十三年(2011)より修理事業が行われ、平成二十六年(2014)に完了。